2011.03.17.thursday

at 長岡市川口町 / Nikon FE + efiniti Uxi100
中越地震復興・追悼イベントSONG OF THE EARTH2010/10.23
 
2011年3月11日金曜日。
午後3時ちょっと前。
大きな横揺れの地震。
念のため外に非難して辺りを見渡してみる。
この辺りの被害はなさそうだけど
いちおう彼氏に電話してみるとつながらない。
メールも通話も混雑してる。
テレビを見ると
震源地は太平洋沖。
ちょうど反対側の新潟でこれだけ揺れたってことは
震源地近くはだいぶ揺れたんじゃないかと思ってたら
震度7。
そして、津波。
時間が経つにつれて少しずつ
被害の様子がテレビから伝わってくる。
忘れかけてた4年前の中越沖地震の時のコトを思い出す。
目の前の道路が割れて、電柱が倒れて、家屋が崩れてる町を見た時の気持ち。
ってゆうか。
道路も電柱も家屋も波で流されて何もなくなった町の中に居る人たちの気持ちは
その瞬間そこに居なければ分からない。
 
3月12日土曜日。
朝方4時ころ。
ドンっと突き上げるような大きな揺れで飛び起きた。
震源地は長野県~新潟県辺り。震度6強。
朝になって町へ出てみるといつもどおりの風景だけど
スーパーへ行くと普段より混んでいて
なんだか人も町もあわただしい。
東京に住んでる弟からメールがきて
昨夜は電車で30分の道を歩いて帰った。って。
テレビには今まで見たことがない日本の光景が次から次へと映し出されてる。
 
3月13日日曜日。
借りていたDVDを返しにレンタルショップに行ったらいつもより混雑してる。
いつもと変わらない日常を過ごしてても
節電しようとか募金しようとか献血しようとか
なにかできることがないか。って思う人がたくさんいるってことが
被災地の人たちの励みになるにはまだちょっと余裕が持てないほど辛い状況だとは思うけど
いちにちでも早く少しでも穏やかな気持ちで過ごせるようになりますように。
 
3月14日月曜日。
日本海側の津波注意報も解除されて
余震もあんまり気にならなくなったけど
テレビで見る被害状況と地震の影響が日に日に大きくなってる。
福島の原発事故と東電の計画停電。
この町にも東電の原発があるけど
普段は平和だし安全で、そこにあるのが当たり前になっていて
海沿いの道路を通ると目に入ってくる建物も鉄塔も見慣れてるいつもの風景で
いつか避難しなきゃならない時がくるかもしれない。って、漠然と分かってはいても
実際、そうなったときの覚悟なんてそんなにない。
20km以内が対象だとか言われても
きっと25km地点に住んでる人たちだって避難したくなるし
避難するならなるべく遠くに行きたくなる。
私の家から原発までの距離が気になって地図を見てみたけど
何kmなのかなんて、あんまり関係ないのかも。
東電で働いてる古い友人が
マイクを持って謝罪してる姿をテレビのニュースで見かけた。
真面目で一生懸命なところ、変わってない。
 
3月15日火曜日。
新潟県でも、あさって木曜日から計画停電が実施されるって、昼間から大騒ぎ。
私の町は夕方5時から8時の予定。
ガソリンスタンドの給油制限。
スーパーでは水・米・パン・カップ麺・レトルトカレー・乾電池・ティッシュ・トイレットペーパーが売り切れてる。
この先の見当がつかなくて
何に備えればいいのかが、わからない。
 
3月16日水曜日。
福島から避難してきた人たちを市内のコミセンで受け入れはじめた。
市や東電の職員を給水・救助の支援のために被災地へ派遣。
店内の灯りを半分消してるスーパー。
看板の電気を消してるコンビニの募金箱。
近所の福祉施設で、被災地へ送るための衣類と毛布を集めてる。
4年前、この小さな町にたくさんの救援物資が送られてきた。
自衛隊の人が大勢来て、炊き出し・給水・お風呂を提供してくれた。
断水の復旧作業で毎日、一晩中灯りがついてる水道局駐車場に入りきらない県外ナンバーの作業車。
水をもらい避難所に行くとボランティアの人たちの貼り紙がたくさんあった。
たくさんの義援金が集まって、テレビで見るだけだった人たちが激励訪問に来てくれた。
自衛隊の人たちが退去するときには大勢の人が集まって
皆が笑顔でありがとぅーって手を振って見送った。
普段は恩知らずな私でさえ
あの時の恩を返したい。って気持ちがあるのに1人の力じゃどうにもできなくて
市とか会社とか政府とか世界とか大きな力で何か形にしてほしい。って頼ることしかできないけど
東北地方の人たちが
今とか1ヶ月後とか1年後だけじゃなく、
この先何年もの間、ってゆうか、一生、
大事な人やモノや家や町をなくした気持ちを抱えながら
復興しよう。って前向きに頑張り続けてる。ってコト
このページを読み返したときに思い出そう。
 
3月17日木曜日。
新潟県の計画停電が中止になった。
たった3時間なのに、その間どう過ごしていいのかわからなくて
停電してない市外へ遊びに行こうかな。って思うほど
電気がないと普通に生活できない。ってコトと
被爆するかもしれないって覚悟で作業してる人たちがいる。ってコト。
昼間の間、降り続いてた雪は夜になって降り止んだ。
いつも行ってるガソリンスタンドが昨日から休業してる。
地震が起きた前の日に
monogramサンに送ったフィルムのネガとCDデータが届いたのは月曜日。
東京の方はこっちより混乱してるはずなのに
こんなに早く届けてくれるなんて
お店のスタッフサンと
宅急便のお兄さん、ありがとぅ!
今回はケチって現像+CDのみでお願いしたけど
今度お願いするときはやっぱりプリントもしてもらおぅ。
えだのサンの役割が分担されることになったらしい。
冷静に分かりやすく説明してくれててとっても頼もしかったけど
休む暇もないんだろうな、と思ってたからちょっと安心。
原発はまだ大変な状況だからゆっくり休めないことに変わりはないだろうけど
被災地の人たちが少しでも安心して過ごせるようになるには
エライ人たちにがんばってもらうしかないから
ココからこっそり応援しよぅ。